京都手描き友禅と友禅染の歴史についてこちらから引用、参考にさせていただいてまとめました。
友禅染の始まりは?
織物の歴史は、紀元前3000年ごろからインド、中国、エジプトなどでは麻、木綿、絹といった繊維で織つくられていた事から始まります。
同時に染織技術も土や草などを摺りつけただけの染色から、今日堅ろう染色として用いられるバット染料の一種である藍染や、媒染染料の一種である茜染などが行われていたそうです。
日本に初めて絹が入ってきたのは、紀元前100年ごろ。
中国、朝鮮から養蚕技術や絹織物技術が伝えられた、との事。
本格的に織物技術が伝えられたのは紀元280年以後、帰化人によるもので今となってはその功績は大きい、と考えられます。
中国、朝鮮からすぐれた絹織物技術と模様染として纐纈(絞り染)、臈纈(鑞染)、頬纈(板締め)が中国から590年ごろ伝えられました。
この三種の模様染が後染(あと染)の始まりです。
平安時代、京都の絹織物の発展
794年の平安京遷都のときに織部司(おりべのつかさ)が創設されたのを機に、京都において絹織物が多く行われるようになりました。
このころの染料、染色についての文献や研究が少ないのですが、植物染料が用いられていたことは確認されているそうです。
この頃の染料や染色に関しての情報は、900年以降に著された『延喜式』に明記されています。
しかし、友禅染はいつごろ起こったのか、それを明らかにする文献は多くないようです。
手がかりとしては、1680年ごろ、井原西鶴の名作「好色一代男」の中には「祐禅」という名前が出ています。
次に1686年に出された、『源氏ひいながた』に一珍染、茶屋染、江戸染などの模様染とともに友禅染の名が載っています。
ここには「友禅斎」の名前も書かれています。
宮崎友禅斎と友禅染の始まり、特長
友禅斎は、当時、京都の祇園に住んでいた扇面画家・宮崎友禅斎のことといわれています。
友禅斎が、それまでの模様染技法を応用して、自由な文様表現と豊かな色彩を使って新しい模様染をデザインしたそうです。
今日では、それが友禅染の始まりだといわれています。
美しい扇面画に似た華麗な友禅染は、当時の紋、刺繍、摺箔といった重厚感のある模様染とは大きく違うものでした。
従来の模様技術とは違う友禅染は、、多色で自由な模様が描けるのが大きな特長です。
又水に浸けても色落ちせず、どんな絹に描いても柔軟であるという特色をもっています。
この染色法と、優美で綺麗な模様とが相まって、友禅染は今日まで脈々と伝えられ、発展してきました。
(以上、引用元より)
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